”頑張らない”は微調整



これからは、頑張らない時代ですから
頑張らずにいきましょう
とか、目にしたり耳にしたことがあると思います。

頑張らないって何?
頑張らないとやっていけないよ!
私は、頑張ることしかできません!

なんて思う人も沢山いますよね。
鑑定をしていてもそういうお話になったりもします。

もう、ここ何年も
”頑張る”って言葉が、腫れ物のように扱われているような気がしてなりませぬ。
例えば、心が疲れている人に対して「頑張れ」というのは控えましょうとなっていたり。

ひと昔前までは、挨拶のように、応援の言葉として「頑張ってね!」と気軽に声をかけていられたもの。
このひとつの言葉が流れを変えてしまう時代になったのですね。

そして、頑張る難民が増えているような気もするのですがどうでしょう。
「え、頑張っちゃいけないの?え?」みたいな。
”頑張る”とか”頑張らない”とかに過敏に反応しすぎて、要らぬ事故みたいなものが発生しているような。

では、
頑張らない風潮というのはどういうことか?

「頑張らない」って
「もう何もしない」「無理をしない」というなぜか後退をイメージするワードに脳内変換されてしまいませんか。

そして、瞬時に、
今までの私が否定された!
今までのやり方が間違っていたんだ!
今までの努力かえせー!

みたいな、ものすっごい飛躍したところまで気持ちが飛んでいってしまう。
こんなに頑張っているんだから否定しないでよ!と、ぎゅっと気持ちが閉まってしまう感覚もあります。

と同時に、
今までの方法とはまた違うことを提示されたわけなので、単純に方法とかはわからなくて混乱するということだってあります。

でも、こんな変なイジメみたいなものではなくって、
「頑張らない」ってもっと未来的で希望が溢れている言葉だと思います。

「また頑張って輝くために、”少し微調整を取り入れながら”頑張りませんか?」という一種のご提案みたいなものだと思うのですね。

この”頑張る”というベースは人によって土台が違うのでなんとも言えませんが、人間って頑張り屋さんなところはあるでしょ。
「一切頑張らないで生きている」という人でも、生きているだけでも頑張っているうちにも入るし、きっと気持ちの解決の仕方がそうさせているだけであって、みんなそれぞれの世界で頑張って生きています。

”少し微調整を取り入れながら”
という部分が
”頑張らない”
と訳されているわけであって、

全体をとおして、
「もう頑張るのやめて全部やめましょう」ということでもないでしょう。
そう出来る人はそうしたほうが良いけれど、きっとそう出来ない人もいるでしょう。

「頑張りすぎ」な人は、おおかた無理がかかっているパターンでもあります。

でも、無理しないとやっていけない環境なんです!という場合に、

頑張ることを続けるために、ガタが来ている所があればこまめなメンテナンスを入れながら頑張りましょう。
無理はずっと続かないので、もし今無理をする必要があれば、いつまで無理をする必要があるのか?の目安を定めておきましょう。
頑張りたいのであれば、様々なパフォーマンスを上げていきましょう。
睡眠時間を削るのであれば、短時間でも良い睡眠を。身体に負荷のかからない食事も心がけて、身体のメンテナンスも適度にとりいれましょう。頑張りすぎると心が詰まってしまうこともあるので、メンタル維持のために悩みを溜め込まないように、色々なカウンセリングや気分転換を上手にとり入れてみるのも良いでしょう。

などなど

をひっくるめて、
微調整を取り入れるご提案
みたいなものが、
ふんわりとした頑張らない
というものなのではないのかな〜〜と思いますがいかがでしょう。

微調整の段階を超えてしまう場合もあります。

そのような場合は、
言葉通りの、
一旦お休みして回復しましょうということにもなります。

そして、そこをも通りこした場合は、
頑張る・頑張らないのお話ではない所に事故が発生している可能性ありです。

「身体やメンタルを窮地に追い込みすぎずに頑張る」
ということは、
本来とても未来的で夢のある話しです。

そうすることで、
長く頑張る、長く輝く自分を保つことが出来る。
長く、楽に自分の人生を歩んでいけることが出来る。

頑張る・頑張らないって、そんな悪い話しではなくて、
上手に自分と付き合っていく一種の手法。

そして、
ひとりで頑張らなくて良いよ、
苦手なところや弱っているところはフォローしてもらって、
「あなたの頑張るところだけに集中できる環境を作っていこうよ!」

という、コスパ良い夢の叶え方なのではないかな〜〜と思います♡♡

だから、頑張り屋のみなさん!
自信を持って、自分のメンテナンスも行って、必要であれば休息期間を取り入れて、頑張りたいことをおもいっきり頑張ってください!

場の効力



誰かと交わる、話しをする、空間を共有することは、
思っている以上に、様々な効力を発揮すると思います。

例えば、
身を置く場所が、”何かしらの理由で頑張らなくてはいけない空気感”であれば、
自然と「頑張ること」が「正」となり「当たり前」となる価値観で存在していきます。

”ここは頑張る場所だからね!”と話し合って決めたルールではないにしても、
一番強いものが、「頑張ること」を軸にして動いていたら、それら周りのものは、その空気に溶け込んでいくのは、もうしょうがないこと、というか、当たり前のこととして空気は浸透していくもの。

その軸が、ある程度合致していれば、
そこに違和感を感じなく、「共有」として空間は出来上がっていくものですが、
ここ地球はなんとも豊かなもので、沢山の”色”が存在します。

正解を作り出そうとすると、
必ず、不正解者が作り出されてしまう、
なんとも陰陽のバランスがとれた場所ですな。

何かを生み出すと、
必ず弾き出されるものがあるので、

この弾き出されることが嫌だと感じたり、恐怖と思う場合は、
一生懸命、空気の共有にせっせと励みますが、まぁ先は長くないというか、どこかで区切りはでてくるものです。

その反対ももちろんあります。
断然こっちのほうが大切で、お得感ありますが、
無意識的にも、今度は弾き出す側になってしまうものでもあります。

心地よさや、空気感になんなく馴染めた時。
もし、そこになじめない物事がやってきたら、途端に弾く側です。
それはそれで、”ぬし”になっている感じがう〜〜むなこともありますしね。

沢山の色が存在し、
そして、それをOKとしているかと思いきや、色をだすと不整合が発生する
という、なんだか事故みたいなものが日常には結構発生するもの。

でも、誰も事故なんて起こしたくないから、
空気の共有に励んだり、所属の自由を探したり、と旅をするのだけど、

結局、
村づくりみたいなものですよね。

日本の中でも北海道と沖縄では、違う生活をしているように、
その空気を共有することで、色々な差異は発生するもの。

その土地の風土、特産品に、それぞれの良さがあり、
その空気に馴染むことで、それが当たり前となる物事があるということです。

それが、
土地から人間に変わったところで、
コミニティは一種の村みたいなものだから、
好きな場所に住む、食べる、生息するということは、

そこに
愛着が生まれ、
誇れるものとなり、
誰かにもお裾分けしたくなる、
みんなを招きたくなるような、

空気感がでますよね、ってことなのです。

それって、
誰かの心にふと届いたり、
また、足を運びたい場所だな、と思たり、
自分の土地とはまた違うものがあるんだなという刺激となったり、

みんながそこに、愛を持ってたずさわっているか。
誇りを持って貫いているか。

それが、頑張ろうと乱れようと、なんだろうと、
核となる何かに心が響けば、

誰かの救済にもなれたり、
癒しにもなれたり、
ガッツにもなれたりと、

色々な効力は生まれるな、と思うわけなのです♡♡

心の散歩道



心の中に、誰しも”恐怖”ってあると思うのです。

どんなに明るくて、ポジティブで、前向きに生きている人の中にも、
”恐怖”や”孤独”という、ちょっとアンニュイな気持ちや世界ってあるもの。

それを、無理やり隠そうとしたって、
無いものにしようとしたって、
存在しているものは、”あるよ!”って認めないと、
無視されたと思って暴れだすことでしょう。

そういった世界を無いものとして生きることはとても難しいもの。

みんな、
恐怖や、孤独といった世界の中で生きている。
そして、
もちろんそれだけではなく、
楽しみや、希望という世界の中でも生きている。

どちらも大切で、美しい世界なんだと思う。

ただ、
どちらかだけを選ぶというのは難しいことで、
これらの世界は一括りの場所にあるから、
”排除”してしまうと、すべてが消えてしまう。

これが、”善悪では、はかれない”という原点でもあるのでしょう。

変に、楽しいことだけを求めなくても良いし、
あえて、恐怖に向かわなくても良い。

楽しいことも、
悲しいことも、

”自分なりの付き合い方”さえ見つけてしまえば、

今よりも、世界は輝いてみえるな〜〜♡♡

うまくいっているように見えるあの人も、
名の知れたあの方たちも、

私たちと、同じ世界の中で生きているよ。

ただ、
”そういった世界の付き合い方”を見つけるのがとっても上手で、
”そういった世界の波の乗りこなし方”が上手なだけ。

地球上のすべての人たちは、
みんな一生懸命に生きている!

しっくりくる感覚を追い求めたい時

しっくり感欲しいよね

時々、過去のこと、時間などを振り返ってみると、
その時わからなかった出来事の意味というのが、ふとわかることがあります。

その当時は、存在すること、そもそも生きるということに精一杯なので、
「なんで?どうして?」と自分の中の世界を引っ掻き回しながら、一生懸命理由探しをしてみるも、流れる時間に対応していく間に、”なんとなく事がおさまり、次のフェーズにうつっていく”みたいに、「自分の気持ち、過ぎ去り度高いね!」という状況もきっと多いでしょう。


そして、ふと、昨年の事に思いを馳せたり、人生を読み解くきっかけが訪れた時に、
こういうことが巻き起こっていたんだね〜〜と妙に納得したりしっくり感を体感できる事も多いはず。

いわゆる「客観的に」とか「俯瞰して物事を見る」ということを、
差し迫った状態でやっているわけではなく、心にゆとりのある時にやっているから助長しているということもあると思うのですがね!

そういう時に、
占いって府に落ちるというか、自分が描く「次の段階」にいけるのかなと感じます。

心が窮屈真っ最中の時、
自然の成り立ちや宇宙の成り立ちを十分に感じて俯瞰するって、人間にとってはきっと難しいと思うの。
だって辛い時に、自然の法則とか言われても・・ねぇ・・
何でもいいから、この辛い状況なんとかしたい!って思いませんか?

ワタシハゼンゼンオモッチャウ
落ち着いたら、落ち着いたら、ちゃんとやるから!
まずは落ち着かせてくれ〜〜!この状況を!!と思っちゃう。

自分の中で腑に落ちないことや、しっくりこない感が強い時って、
自分の作り上げている世界が濃くなりすぎちゃっているのですね。


自分の世界と、その他の世界がうまく融合された時に、
しっくり感ってでてくるもの。
なので、「自分の世界を頑なに守ろうとしている時」「自分に一生懸命になりすぎている時」ってなかなかしっくりこないです。

自分の中で腑に落としたい時や、しっくりきたい時。
必ずと言っていいほど、対象物があります。

”誰かの情報や本”などを読んで”府に落ちた〜”
”今日選んだもの”は”しっくりくるな〜”

など、

自分と「なにか」が融合された時、このしっくり感って味わいやすいと思いませんか?

融合って気持ち良いものですよね。
だって自分の求めているものと合う、好みと合うと、
「わぁ〜〜〜♡」となりますよね。

ただ、この”合わせる”には、
余白が必要。

自分に一生懸命になりすぎている時ってこの「余白」ないですよね!


あれも違う!これじゃない!求めているものと違う!うわぁあん!と
バンっと弾かれてしまうから、
合わさってくれない→しっくりこない に、なります。

なので、
春日でいる必要があります。
突然の春日登場。

「春日のここ空いてますよ」の”ここ”。
思ったよりも需要ありそうですね!

「ワタシの”ここ”空いてますよ!」の時。
空いている時は、自分が思うほどなんでもよかったりもします。

自分からつっこんでいく時はなかなかしっくりこないのに、
ふっと、これかも?というものが向こう側から合わさってくれた時、
「わぁ〜〜〜♡」となりますよね。

占いって。
ピンチや迷った時は任せてちょうだい!のヒーロー気質も多くあるのですが、

「過去の自分との答え合わせ」みたいに、
少し大きな「自分の空間」を融合したい時、過去の自分と今の自分を融合していきたい時、ちょっと受け入れていける余裕あるな、春日だなという時。

”ちょっと大人プレミアム”な時間が作られます。


融合が進むとプレミアム。
いつもとは違う、高級な自分のステージへいける。

そして、それが定着した時。
また、一段上の自分が想像するプレミアムな領域へいける。


占いを「プレミアムになるための自分に使う」のもまた、よきよき。

生きる実感と師走

運というのは、
ある程度、運命通りに生きていれば積み重なるものでもあり、

運命というのは、
命をその通りに運んでいくことでもあり、

生きる=命を運ぶ

ということになります。

運ぶというと、
AからB
というように、動いている、移動していることになるため、
「生きる」というのは、どうしたって、動きがあるものです。

生きている実感というのは、
やはり、動きがあるところで感じられるもので、

毎日、何かしらの動きの中で、
「意味を見いだせた時」に実感や体感を得られます。

なので、
例えば、”寝る前にその日1日を褒める!”というアクションは、
「その日1日の意味を見いだせた時」にもつながるため、先には、運を積み重ねていることにもつながるでしょう。

反対に、
「あ〜これが出来なかった」と否定的なものは、
「意味を見いだせなかった感覚」につながりやすいため、「運の積み重ね」が一時ストップする傾向にもあります。

ただ、否定的なものの裏には、肯定的なものは実在しているので、
「あ〜これが出来なかった」というものがもしある場合は、「出来なかった意味を見いだすこと」も可能です。

例えば、
今日は休息が大事と判断したから、できない事もあった。
ここで休むことで、明日に長引かせないメリットもあった。

など。

都合の良い解釈では?と思いの方もいるかもしれませんが、
それは、自分の慰めや言い訳のために使う場合でもあり、
もし、自分の発展的なものに使う気持ちがあれば、都合の良さも時には必要かも?と思います。

これらは、ほんの一例でもあるため、
これをしたから、運が上がりますよ!というものでもありませんが、

積み重ねたものは、良くも悪くも形になりますし、
それは、良い形で出来上がる場合は、自分を認めていけたり、運が良いと感じることに繋がります。
もちろん反対もしかりです。

意識して運を積み重ねる方法として考えた場合、
折角なら、「良いものを積み重ねたい!」と思う方が大半だと思うので、
このように、「何を積み重ねるか?」というのは、避けては通れないような道でもあり、
そこに、目指す先のようなものがあれば、きっと、人間って頑張れるのだと思います。

どうやって自分が命を運びたいか?
と漠然として見つめた時。

何をして、
誰と一緒に、
どういった生活を?

など、
自分の命の運びに目を向けた時。

人は、おのずと、
「運命」という漠然としたものとの対話ははじまっているのでしょう。

自分の心の中で繰り広げられる対話の中で、

過去の気持ちの消化、
過去の時間への恩返し

そうした、一種の浄化作業が、混沌とした中で繰り広げられているのと同時に、

無意識的にも、
そういった時間というのを、みんな心の中で大切にしているのかもしれません。

そして、

その命の運び方は、
人の数だけ方法が存在し、

だれにも当てはまらない、
自分だけの人生、というものを作り上げていく、

「生きている実感」を大切にしたい!という気持ちに加え、
動いていくことへの覚悟も持てるようになるのかな?と、

動きを多く感じやすい師走の時になぞらえて、
ふと思った次第です。

個々へのエール



今日は、天からのお達しがとても多く、
その上、情報量もとても多いので雑記感覚で残しておきます。


テッパンと言われていることや、常識、などが当てはまらなくなってくる、これからの世の中。

1+1=2×100
くらいにもなり得る方が大勢いるので、
もはや、成功法則をはるかに上回ってくる人たちも増えてきます。
何が正解で、何が不正解かが乱立してくることも。

やはり、
今まで築き上げられてきた歴史ある「型」というのは、大切にしていくと同時に、
これからの「型」とどのように共有していくかによって、見据える未来も大きく変化していきます。

今までの型も非常に大切なのですが、
そこに自由度が許されない場合、型は強制的なものとなり、正しい方向のためのアイテムではなく、息を殺してしまうような、随分とダメージのあるものと化してしまうでしょう。

人は、ダメージには滅法弱いため、
そこからの脱却をはかるか、無理に心を強くする傾向にもありますが、
これからは、今までよりも随分と我慢をしなくても良い世の中になるので、
脱却を選ぶ人のほうが多くなる様子。
我慢とは、自分にあっていない環境で頑張る必要がないことです。

そして、
「これはこうだから」という文字でも表しにくいものが多々存在してくるため、
いわゆるテレパシー的なもので会話するほうが楽になります。

かといって、ここは言語のある場所なので、もちろん今までとおり言語は使われますが、
言葉の奥を読み取る立体感覚が個々に求められてきます。

それは、相手の言葉を深読みする、というような重たいものではなく、
相手を尊重していくがゆえに発生する、その人の背景の立体部分です。

その背景を感覚的に、直感的に感じる、
この世界のテレパシーと言われるものでもあり、これから必要なものにもなります。

そして、
言葉を使ってしまうと、スピードが急激に遅くなります。
ですが、言葉は必要なものであり、こうして文章として残すには今のところ言葉を使うのですが、
情報の書き換えが多く行われる、これからの世ですので、明日には、また目安となる情報も移り変わる。

そんな風に、
「これ」と決めることは今まで必要を感じなくなる人も増えていくでしょう。

旅人要素が強まる表現ですが、
その風を十分に感じているからこそできる行動であり、
足場がしっかりしていないようにも見えますが、その分、心がしっかりしていくというバランス感覚もあります。

生き方のそれぞれを、
それぞれが
それぞれに。

先ほども書きましたが、
目安が一瞬で変わるこれからです。

もはや目安というものがないに等しい。

それは情報のデータベースに、個々がアクセスしていける世の中であるため、
人の数だけ目安もあるということです。

良いと思うものは良いですし、
興味のないものは興味がない。

文字にすると味気のないものに感じますが、
ひとたび、人の意識に入ると、心が踊るような気分になる人もいるでしょう。

それだけ、
個人の人生を、見えない大きな何かが応援しており、
ここの場所で生きることを選んできた、あなたにエールを送っています。

あなただけの目的の場所
あなただからこそかがける場所へと、
これから導かれる人も多いでしょう。


自信を持つということは




「大丈夫だよ、もっと自信を持って!」



元気がない時や、
不安を感じた時、
失敗して落ち込んだ時、


自信を持って!と言われたことは、きっとあるでしょう。

わたしも、
自信を持って!と人生で何度みんなに言ってもらえただろうか。

でも、
はて?自信ってどうやって持つのだろうか?

とか、

多分、自信はある!

はたまた、
自信なんて到底持てないよ〜

と、感じたことは、一度や二度ではないはず。
そして、私と同じように、感じている人も多いはず。

でも、
自信を、
「持つ」「ある」「ない」で表現しているあたりで、
自信という、なんだか大きくて凄そうなものは、どこかには「存在」しているようなニュアンスですね。

これが出来るようになったら
苦手だったものを克服できるようになったら

今「ない」と思っているものが「ある」「出来る」になったら、
自信が持てるのかしら?
とも考えてみました。

ひと時の自信には繋がりそうですが、
いつかまた「失敗」したら、この自信は「消えてしまいそうな」、
ものすごく交換条件のような気もしてきます。

出来なかったものが、出来る!に変わった時。
なかったものが、「ある」ことに変更された時。

達成感と一緒に、”自信メダル”も貰えるのでしょう。
でも、次の自信選手権で失敗したら、やっぱり、メダルは貰えないので自信は無くなってしまうかもしれません。



読んで字の通り、
「自分を信じる」と書いて自信。

自分を信じてね!ということなのでしょうが、
そもそも、自分の世界だけで完結する話でもないから困っているだけで、
もし、この地球に自分ひとりだけだったら、自信とかあってもなくても困らない。

なので、
「自分個人で持とうとするから苦しくなるのが、自信」だと感じています。

自信って、
「自分だけの確固たるもの」と捉えがちですが、
人がいないと生まれてこないもの、地球に自分ひとりだったら重要視されないものであれば、
もはや、「自分以外の何かが自信というものを作り出しているのではないのかな」とすらも思ってしまいます。

それは、
自信という言葉のイメージが先行しすぎて、
「自分を信じる強さや度合い」で、その有無が繰り広げられているけれど、

地球で生きている以上、
自分は存在しているわけで、現在、呼吸して生きている認識がある人は、「自分が存在していると無意識的にも信じている」から、「自信」はあります。

でも、その「自信」だけでは、上手く行かないから困っているので、
やはり、今題材になっている「自信」のほうは、「自分ではない何かの自信のほう」な気がしてたまらない。

いきなり自信が2パターンに別れてわかりにくいから、本日の自信のほうを「自信おばけ」にしよう。
(余計にわかりにくい)

さて、
この自信おばけは、
自分の世界から飛び出たものなので、「自分 と 外の世界」の対比の時に発生するみたいです。

自分の中から生み出そうとするからわからないだけで、「自分 と 外の世界」で成り立つものであれば、
自信おばけは「外の世界」にあると考えてみると、少し視点が変わらないでしょうか。

外の世界が、自分から見て美しいものであれば、この自信おばけも美しいものであり、
はたまた、パンチがきいたものであれば、自信おばけもパンチ強めなのでしょう。

それは、外の世界における「信頼度」で自信おばけの質も変わってくることであり、
もし、自信おばけに困っている場合は、「外の世界における信頼度を上げていくこと」が解決のキーとなるということ。

「外の世界」とは、
自分が取り巻く環境すべてであり、
家族・会社・家庭・友人・関わる人間関係・視界に入れる情報

これらが、美しいものである認識があるばあるほど、
「自信おばけ」に困ることはないでしょう。

今、困っているということは、
これらの「外の世界」が、見えにくくなっているということ。
「自信」の有無の話では元々ないのですね。

生きていれば、きっと色々あります。
外の世界が綺麗に見えないことだって沢山あるでしょう。

でも、地球に生まれ、人生を歩むことの中で、
たとえ、今現状は綺麗に見にくい世界があれども、蒸気で曇ったレンズを拭くことはできます。
その回数に制限はなく、曇りを感じた時はいつだって綺麗にしていけます。

私たちの生きているこの時代は、
生きる世界を綺麗にしていく段階に突入しています。

そして、

自信を持つということは、

今、生きていることの実感とともに、
取り巻く世界を自分なりに美しくなるよう、
信頼を寄せていける環境をみずからも作る努力をしていくことの先に、
体感が得られるものなのでしょうね。


物事がなかなか続けられない方へ

算命学の骨組みにもなる部分に、
十干と十二支があります。

これは、算命学を学んでみようと思った時に、まずはじめに目にする項目でもあります。

色々な参考文献を読んで、頭にすっと入る人と、そうではない人がいるのではないかな?と感じます。
しかし、学ぶ上では必要と考え暗記しようと頑張って覚えようとしますが、如何せん漢字も多いですし、読み方も難しい場合もあります。
そして、そっと本を閉じる。
紛れもなく私もこのパターンです。

ポイントは、最初から全てを覚えようとしないことです。
あまりに真面目に取り組みすぎると、知っていくことのハードルがとても高くなりますし、続きません。
頭の中で自分なりのイメージを作ること。
十干はこんな感じ、十二支はこんな感じ、と読み進めるだけで大丈夫です。
この段階で覚えなくても良いでしょう。
そして途中まで読んでいくと、必ずと言って良いほどつまづきます。
そして、またスタート地点でもある、十干と十二支に戻ってくるのです。
進んでは戻り、また進んでは戻ることを何度か繰り返しているうちに、ふと気付きます。

「よし、しっかり理解してみよう」

そのころには、あなたも算命学に興味を持ち、自分の中で消化させたいという想いを抱いているはず。
ここまできて、向き合う土台がようやくできるので、最初から全てを完璧にしなくても大丈夫です。

学ぶことに対してすんなりと抵抗なく進められない時は、
このように、最初はわからないところはサラっと流して、興味のある部分を深堀しながら、わからないところに戻っていく方法も、ひとつの学び方です。

これは、どんなことにも応用ができることです。
最初の意気込みは良いけれど、なかなか続かない方、いませんか?

健康のためにジムで運動しよう!毎日1時間走りに行こう!と意気込んだものの、
3日坊主のように続かない。

意気込みすぎるとで続かなくなるという方も沢山います。
そういう方は、その物事を嫌いにならないように努力してみるのです。
無理に楽しもうとしてもどこかで息がつきます。
しかし、嫌いにならないように、少し大切にとっておくのです。
「続けていける自分のマインド」を自身で育てていくのです。


そうすると、少しづつではありますが、
持続の大切さをすんなりと受け取りやすくなります。


だれでも、持続力の必要性はわかっているはず。
でも続かない自分に疲れてしまって、物事への挑戦意欲が薄れてしまいます。
逆に立派な目標の重圧に心が耐えきれなくなりがちです。

そういう時は、
自分が選んだ物事を、人生の中で大切にする努力を。
自分の横に好きな物事として置いておいてあげる許可を、自分に出してあげてください。

そうすることで、
可能性は途切れることなく、細くても続く道のりとして回転していくものです。


生きにくさと、その先

私がこの仕事を続けていけるのは、
根本に、自分自身がこの世界でとても生きにくい思いを抱えていたからです。

きっかけは、自分の人生の分岐点で、全てを失う流れからのスタート地点でしたけれど、
少し月日が立ってくると、どこかで行いの原点にもなる「動力」というのを考える余裕が出てきます。

それは頭で考えるものではないのかもしれません。

こうしよう、あぁしよう、と考えて動力を作るのではなく、
活動している段階の中、鑑定をとおして繰り広げられる会話、そして日常生活の中で出会う人々、
そういった皆さんとの交流の中で、不思議と自然に「想い」という輪郭が出来上がってきているように思います。

なので、
立派な「何か」というものはとても幻想的で、私にとっては憧れでもありますが、
それを作り出しても、なかなか到達しにくい現状を何度も体験してきました。

話は戻りますが、
この世界の「生きにくさ」は解決したのか?というと、
正直、解決していないのです。

え?自分自身が解決していないのに、鑑定業は成り立つの?と不安にさせてしまったらごめんなさい!
そういうことではないのです。


「生きにくさ」は、「生きやすさ」にはならないみたいでして、
「生きにくさ」を知ること、そして「生きにくさ」を感じていることで、自分の人生に向き合うための「ひとつの合図」のような役割になっているのです。

日々の生活の積み重ねや、年齢を重ねることで、
解決できる物事や、心の持ち方という点では、周囲のおかげで成長の道のりをありがたいことに辿れていると思います。

でも、根本の「生きにくさ」については、
心が緩んだり、時に拍車がかかったりと、まるで、もうひとつの生物のようにすごい動きを見せてきます。

まるで安定なんてしておらず、
形を持たない、形が決まっていない、ということに関しては、
「生きにくさ」自体は、大変に自由度の高いものなんだ!とも思ってしまいます。

それを、例えば「生きやすさ」に変えると、
正方形ですよ、三角形ですよ、という枠組みはわかったようになりますが、
これ以上にはなれない、この先を超えられないような、「窮屈さ」もでててくるわけで、
結局は、どこまで行っても追いつけない時に、変にびっくりした気持ちになります。

全然違うじゃない!と。

でも、この気持ちこそが、
これからを歩む動力になり、
もう一度、「生きにくさ」に挑戦してみよう!という勇気になったりもするので、
私の原点でもある「生きにくさ」はやはり大切にしていこうと、心あらためる「きっかけ」となっています。

そして、
このきっかけがあるからこそ、
周りの方々の人生に触れていける、そんな活動力を与えてもらっているのかな?
と感じているのです。


セレスタイト


こちら、日々の睡眠をお供していただいているセレスタイトの原石。
天との絆もそうですが、自分自身の中の壮大な宇宙との絆も深めてくれる石だな〜〜と感じます。

自分の辿りたい道のりへとフォローしてくれる体感もありますが、
その前段階として、お試し試験のように、
「ここに行くなら、これくらいは覚悟してね」というようなアクションも起こしてくれるな〜〜。

厳しい試験というより、授業終わりの小テストみたいな感覚です。
きちんと授業を聞いていればわかるような。

これはテストで満点をとることを目的とするよりも、
もし間違ったことがあったら、この部分を見直したら早いよ!というように、
より効率よく、自分の気持ちの良い方向に持っていってくれる、サポート力を感じます。


じわじわとエネルギーを感じるので、
数ヶ月後に振り返ってみてわかること。


そんなこともセレスタイトに教えてもらっている最中です。

物事を成功させようと思うほどこれからの時代は反対の道に逸れていく傾向に*それはエゴが噴出しているとみなされ、自分から人や物事が離れていくらしい*ただ、心の核として純粋な気持ち、周りに対する愛からの行動とみなされた場合は、結果的にうまくいく*全ては天、そして万物のはからい*



朝、こんなメッセージが降りてきました。
チャネリングメッセージだと思ってくださいませ。

本当にそのとおりで、

あなたの原動力が、エゴ、そして不安からくるものだった場合は、
「上手くいかない」というよりも、
「人や物事が離れていく」という現象がこれから顕著に起こり得るだろうとのこと。

あの人に嫌われた、
適当な態度だな、

なんて、ある一方は思うかもしれませんが、
もう一方では、上手く交われない「違和感」を感じての自動的な振る舞いになります。

それは、その人の意思に関係なく、相手への尊重があるからこそ、
「何か違う」という愛ある信号を送っているからこそ勝手にそう動いてしまうのでしょう。

そこには、好き・嫌い、傷つく・傷つかない
ということはなく、
ただその人が歩むべき道への起動修正を促していることだけなのです。

なので、
その人の道がまた戻れば、周囲の反応というのが変わり、また手を取り合って歩んでいけるもの。

嫌われた という、単色的なことではないのです。



あなたが、心の核を持って行動していくことが、
これからの時代を動かしていきます。

わかっていても、どうしようもならないことだって沢山あるでしょう。

そういう時は、どうか自身を責めないでください。

どうしようもならないことには理由があり、
様々な兼ね合いから、
傷ついた心がそうさせてくれないだけ
なのです。

傷ついた心は、あなたの心の核を眠らせてしまいます。
この状態で、心の核を起こそうとしても無理があります。
眠り姫みたいなものです。

無理やり起こそうとしてもビクとも反応しません。

心の核を認識するには、
まずは傷ついた心を癒して丁寧に浄化することが大切です。

それからでも決して遅くありません。

まずは、弱っている部分の心ケアから。

この地球は今、心のケアが必要です。


==============


本当にそうだな〜と実感です

みんなどこかに心の傷ってあるものです。

ない人っているのかな?

解消したり、心のケアを気をつけたりして前に進んでいる人はいても、
この傷を体験したことない人はいないのではないかな?

みんな頑張り屋さんだから、なんとかしようと頑張ってきたんだと思う。

周りのため、家族のため、仕事のため。

その頑張りの糸が切れた時に、

あれ?これからどうしたらいいのかな?やる気がわかない、動けない。

となって、はじめて自分の状態に気づく人も多いもの。

だけど、心のケアって。
どうしたらいいの?ってなるけれど。

心理学、スピリチュアルの世界、
色々、心についての考え方はあるけれど、

すべては何かを知りうるきっかけでしかなくて、
あなたはあなたの方法でしか乗り越えられない
ということ

だって、
心の核は
みんな違うのだから。

カルマ、トラウマ、
色々な表現があるけれど。

全部ひっくるめて、
色々なきっかけの岐路をたどって、
あなただけの方法にたどり着くものです。

それは、意外と、
「学ぶ」というところから外れた、
楽しい会話からカルマの糸がほどける場合もあるし、
目の前の人が変わりに泣いてくれることによって、トラウマがひとつ知らないところで解消されているのかもしれません。

学問の世界から飛び越えたところで、
わたしたちが認識でき得ない範疇のところで、
あなたの人生って動いているのことが沢山あるのかもしれません。

学問があるからこと、感性が飛び越えていける

感性があるからこそ、学問をつきつめていける

方向はちがえど、
行き着く場所は一緒なのかもしれませんね

そうやって、
傷をいやし、心の核が眠りから覚めていくのでしょう。

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