生きる実感と師走



運というのは、
ある程度、運命通りに生きていれば積み重なるものでもあり、

運命というのは、
命をその通りに運んでいくことでもあり、

生きる=命を運ぶ

ということになります。



運ぶというと、
AからB
というように、動いている、移動していることになるため、
「生きる」というのは、どうしたって、動きがあるものです。

生きている実感というのは、
やはり、動きがあるところで感じられるもので、

毎日、何かしらの動きの中で、
「意味を見いだせた時」に実感や体感を得られます。

なので、
例えば、”寝る前にその日1日を褒める!”というアクションは、
「その日1日の意味を見いだせた時」にもつながるため、先には、運を積み重ねていることにもつながるでしょう。

反対に、
「あ〜これが出来なかった」と否定的なものは、
「意味を見いだせなかった感覚」につながりやすいため、「運の積み重ね」が一時ストップする傾向にもあります。

ただ、否定的なものの裏には、肯定的なものは実在しているので、
「あ〜これが出来なかった」というものがもしある場合は、「出来なかった意味を見いだすこと」も可能です。

例えば、
今日は休息が大事と判断したから、できない事もあった。
ここで休むことで、明日に長引かせないメリットもあった。

など。

都合の良い解釈では?と思いの方もいるかもしれませんが、
それは、自分の慰めや言い訳のために使う場合でもあり、
もし、自分の発展的なものに使う気持ちがあれば、都合の良さも時には必要かも?と思います。

これらは、ほんの一例でもあるため、
これをしたから、運が上がりますよ!というものでもありませんが、

積み重ねたものは、良くも悪くも形になりますし、
それは、良い形で出来上がる場合は、自分を認めていけたり、運が良いと感じることに繋がります。
もちろん反対もしかりです。

意識して運を積み重ねる方法として考えた場合、
折角なら、「良いものを積み重ねたい!」と思う方が大半だと思うので、
このように、「何を積み重ねるか?」というのは、避けては通れないような道でもあり、
そこに、目指す先のようなものがあれば、きっと、人間って頑張れるのだと思います。

どうやって自分が命を運びたいか?
と漠然として見つめた時。

何をして、
誰と一緒に、
どういった生活を?

など、
自分の命の運びに目を向けた時。

人は、おのずと、
「運命」という漠然としたものとの対話ははじまっているのでしょう。


自分の心の中で繰り広げられる対話の中で、


過去の気持ちの消化、
過去の時間への恩返し



そうした、一種の浄化作業が、混沌とした中で繰り広げられているのと同時に、

無意識的にも、
そういった時間というのを、みんな心の中で大切にしているのかもしれません。

そして、

その命の運び方は、
人の数だけ方法が存在し、

だれにも当てはまらない、
自分だけの人生、というものを作り上げていく、

「生きている実感」を大切にしたい!という気持ちに加え、
動いていくことへの覚悟も持てるようになるのかな?と、

動きを多く感じやすい師走の時になぞらえて、
ふと思った次第です。




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