生きにくさと、その先

私がこの仕事を続けていけるのは、
根本に、自分自身がこの世界でとても生きにくい思いを抱えていたからです。

きっかけは、自分の人生の分岐点で、全てを失う流れからのスタート地点でしたけれど、
少し月日が立ってくると、どこかで行いの原点にもなる「動力」というのを考える余裕が出てきます。

それは頭で考えるものではないのかもしれません。

こうしよう、あぁしよう、と考えて動力を作るのではなく、
活動している段階の中、鑑定をとおして繰り広げられる会話、そして日常生活の中で出会う人々、
そういった皆さんとの交流の中で、不思議と自然に「想い」という輪郭が出来上がってきているように思います。

なので、
立派な「何か」というものはとても幻想的で、私にとっては憧れでもありますが、
それを作り出しても、なかなか到達しにくい現状を何度も体験してきました。

話は戻りますが、
この世界の「生きにくさ」は解決したのか?というと、
正直、解決していないのです。

え?自分自身が解決していないのに、鑑定業は成り立つの?と不安にさせてしまったらごめんなさい!
そういうことではないのです。


「生きにくさ」は、「生きやすさ」にはならないみたいでして、
「生きにくさ」を知ること、そして「生きにくさ」を感じていることで、自分の人生に向き合うための「ひとつの合図」のような役割になっているのです。

日々の生活の積み重ねや、年齢を重ねることで、
解決できる物事や、心の持ち方という点では、周囲のおかげで成長の道のりをありがたいことに辿れていると思います。

でも、根本の「生きにくさ」については、
心が緩んだり、時に拍車がかかったりと、まるで、もうひとつの生物のようにすごい動きを見せてきます。

まるで安定なんてしておらず、
形を持たない、形が決まっていない、ということに関しては、
「生きにくさ」自体は、大変に自由度の高いものなんだ!とも思ってしまいます。

それを、例えば「生きやすさ」に変えると、
正方形ですよ、三角形ですよ、という枠組みはわかったようになりますが、
これ以上にはなれない、この先を超えられないような、「窮屈さ」もでててくるわけで、
結局は、どこまで行っても追いつけない時に、変にびっくりした気持ちになります。

全然違うじゃない!と。

でも、この気持ちこそが、
これからを歩む動力になり、
もう一度、「生きにくさ」に挑戦してみよう!という勇気になったりもするので、
私の原点でもある「生きにくさ」はやはり大切にしていこうと、心あらためる「きっかけ」となっています。

そして、
このきっかけがあるからこそ、
周りの方々の人生に触れていける、そんな活動力を与えてもらっているのかな?
と感じているのです。


セレスタイト


こちら、日々の睡眠をお供していただいているセレスタイトの原石。
天との絆もそうですが、自分自身の中の壮大な宇宙との絆も深めてくれる石だな〜〜と感じます。

自分の辿りたい道のりへとフォローしてくれる体感もありますが、
その前段階として、お試し試験のように、
「ここに行くなら、これくらいは覚悟してね」というようなアクションも起こしてくれるな〜〜。

厳しい試験というより、授業終わりの小テストみたいな感覚です。
きちんと授業を聞いていればわかるような。

これはテストで満点をとることを目的とするよりも、
もし間違ったことがあったら、この部分を見直したら早いよ!というように、
より効率よく、自分の気持ちの良い方向に持っていってくれる、サポート力を感じます。


じわじわとエネルギーを感じるので、
数ヶ月後に振り返ってみてわかること。


そんなこともセレスタイトに教えてもらっている最中です。

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